尊い命・・・

数日前、38歳の若さで従妹がこの世を去った。

このことを文章にするのには、あまりに辛かった。

10月1日で39歳になろうとしていたので
お母様は、必死でなんとかその日までは生きていてほしい、、、と最後のお見舞いの日も
おっしゃられていた。

叔父にあたるお父さんは、一人娘を、それはもう愛してやまなかったので
この一ヶ月近く、毎日病床で彼女を支えた。

叔父は、東京での忙しいサラリーマン人生を終えた後、晩年を和歌山に土地を買い、家を建て
海と山に囲まれた穏やか暮らしを自分で手に入れた。

いろいろな事情で、離婚をされ、愛娘と会うたびに、彼女が大好きなフランスや、いろいろな場所に
旅行に行っていた。

わたしは、父を癌で還暦で亡くしているので、いや、それより
父とは照れくさくて、二人でどこにも行った覚えがないので、
心より羨ましく、でも、素敵な親子だと幸せに思っていた。

彼女は頭の回転の速い、気のつく、強く優しい娘だった。
そんな中、10年位前に、うつ病になり、自律神経をやられ
病院生活も続いたが、その後リハビリで私の店の渋谷店で
半年くらい手伝ってもらったりもした。

その時は元気だったがその後、また悪化したり、
いろいろなできごとが起こった。

叔父はいつも彼女のことを心配していたが、
回復の兆しが見えてきたここ数年の昨年、
胃がんが彼女を襲った。

胃を全部摘出する大手術だったが、彼女は明るく元気になった。
ただ、5年以内に再発したら、命の保証がないと言われていた今年、
転移し、腸閉塞にもなった。
8月に急変し、7月には叔父と彼女は安曇野に旅行に行ったのに、
また叔父が和歌山から駆けつけ、2,3日の命と告げられた。

看病の日々。

が、先生も奇跡だと驚くほど、彼女は明るく気丈で、私よりもよほど気が利いていた。
その明るさは周囲を驚かせ結果、3週間も延命した。

私は、仕事も立て込んでいた上、病院が千葉だったこともあり、
合間を縫ってお見舞いに毎週駆けつけたが、
最初の2週間は驚くほど、元気だった。。。。というか、
元気にしてくれていたのだ。
疲れるだろうから、帰ろうとすると「楽しいからもっと一緒にいて!」と
引き止められ、点滴と輸血をしているのに、何か食べたい、と食欲を見せた。
もちろん、ほとんど食べられないが、アイスクリームをちょっと食べたり
梨を食べたり、、、大好きなパンをちょこっと口に入れたり、、、
驚くほどの、エネルギーに満ちていた。

最後の日は、ちょうど、仕事で中目黒に向かっている運転中、
もう危ないという知らせがあり、ちょうど中目黒にいた母をピックアップして
そのまま予定を変更し、浦安の病院へ駆けつけた。

意識はもうろうとしていたが、手を握り、誰かわかるかと尋ねたところ、
「おばさま、裕美ちゃん・・・」と言って、にっこりと微笑んだ。
いや、微笑んだというレベルではなく、思いっきりの笑顔を見せてくれた。

そのときも、パンが食べたい、と言い、
叔父がそこにあった食パンをちぎって口に入れてあげたら
彼女は手でそれを押し込んだ。
母と私は、詰まってはいけない、と慌ててジュースをストローで飲ませた。
彼女は、満足げだった。

すごい、生命力。

もう、帰るね、とそっと告げたら、
まだ、ダメ!と強く手を握られた。

でも、辛そうだから、失礼した。

その後、2時間半後に、彼女は息を引き取ったと知らせがあった。

わかってはいたけれど
号泣した。
いや、父が無くなって以来、こんなにも声が出るのかと思うほど
大声で泣き続けた。

おととい、お通夜、昨日、告別式。

叔父は、「親より早く逝くほど辛いことはない」と何度も言っていた。

リアルだが、お骨になって出てきたとき、
先週まで元気だった(に見えた)彼女が、こんな姿になるなんて
なんて命とは、人間とは儚いものかと思い知らされた。

いろいろなことを考えさせられた。

特に今、たくさんの死者を出した震災で残されたご家族のことを思うと、
心がいたたまれなくなった。

亡くなった方はもちろんだが、残された方々の苦悩は測り知れない。

改めて思った。

思えば、父が17年前他界してからのこの仕事。

人の痛みのわかる人間でいたい、とその時から更に思いはじめたことは
その後いろいろなことにつながり、今では自然なことのように思える。

ボランティア・・・この言葉は正直あまり好きではないが、
とにかく、人として、人の気持ちがわかる、そして命の尊さがわかる人間でありたいと
心より願う。

生かされている私たちこそが、
亡くなった人、そして辛い人々の分まで何かできることがあれば
少しは何かの足しになるのではないか、、、

そんな想いを、更に心に抱いた。

今朝明け方、母方の伯母が亡くなった知らせが届いた。

たくさんの命が今日も消えていくのだ。

先日従妹が亡くなる前日に、見た夕陽は、本当に美しく、不思議なものだった。

たくさんの勇気をくれた彼女に、そしてとてもお世話になった伯母に感謝を込めて・・・