様々な想いが錯綜する震災5年後の今日。

敏感な方々は、やはり体調不良が見られるようだ。

私も身体が動かず、予定をすべてキャンセルし、
2時46分、家で黙祷を捧げた。

震災一年後、初めて家族で訪れた石巻、東松島の光景にショックを受けたあの時。

石巻では、すっぽりなくなった家屋の基礎だけが残り、果てしなく続くその基礎の上には、
メガネ、スリッパ、シャツやエプロン、CD、靴下、通帳、などなど、
一年たっても地面に、まるでまだ暮らしの気配を残しながら、散乱していた。

ただただ涙が止まらず、
東松島では海沿いの悲惨な現場で、レガロたちは足をすくめ、思わず抱き抱えた。
成仏できない霊魂が漂い、ひどい頭痛に見舞われた…

現地の人は、否定しなかった。
そう、彷徨う霊魂がたくさんいることを知っていた。

あれから、
最初は被災者の方に何かできればと東松島の支援協力から始まったが、
途方もない大きなプレッシャーを感じ、結局、被災動物の支援活動をするようになった。

もちろん福島には何度も足を運び、他の場所も見て来た。

アフロディーテとしても被災動物のパネル展を主催したり、
バスツアーを主催したり、そのエネルギーは仕事を遥かに超えるほど、必要だった。

でも結局、だんだんマスコミが報道しないと世間からは忘れ去られ、
復興もままならず5年が過ぎた。

それどころか、ひどい放射能被害を未だに及ぼし、汚染物質まで処理できない状態なのに、
原発を再稼働するという国の方針に胸が張り避けそうな日々。

 まだ寒い中、仮設住宅暮らしを強いられる多くの人々、繋がれたままの飼い犬たち、
人知れず苦しみ自ら命を落とす人々、突然最愛の家族たちを失った人々がいる現実社会を、
私なりにどう理解したらよいかわからず、
きっと、レガロやチビラ、ソラ、という優しい命が支えてくれていなければ、
普通の精神状態で過ごせているか、自信がない。

でもだからこそ、
優しく温かい命たちのために、
何ができるかを考えるのだ。

 

震災がなくとも、
既に人間のエゴで破壊されてきた自然たち、
そこに更に放射能の犠牲に苦しめられる命たち。

被災地の方が

「命があるだけで幸せです」と。

私たちが生きている限り、
その命の尊さと向き合っていくことになるだろう。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。