人として生きるということ

どうか、大切な魂が癒されますように。
そして、被災者の方々の健康と、一刻も早い進展がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年4月14日の夜、前震と呼ばれる大地震が熊本を襲った。

東京に暮らす私たちも その時間に一瞬大きな揺れが襲った。

その後、16日の夜中に、更に大きな地震に見舞われ
多くの方々の命を安全な環境を奪われた。

それからもなお大きな揺れが続く日々。

被災地の方々のことを想うと胸が詰まる。

 

この状況がいつまで続くのか…

その意味は
もちろん続く地震のこと、被害拡大のこと…

それ以上に実は個人的に感じることは
報道のあり方。

やはり多くの国民が主要情報ツールとしている『テレビ』では、
NHKが報じる時間が一番長い為、
やはりそれが全てになりがち。

だが、
発生から現在まで観るたびに感じることは

『現場の声』がいかに知らされていないか…

たまたまSNSをやっているから得られる情報との大きなギャップ…

具体的な避難所の場所、適材適所に必要な支援物資の内容、病院など病人の方々、お子さんや動物がいる方々の状況、各所でのライフラインの状況、各所での労力支援の可否、等々…

そして原発に関しては、直後に東京有楽町の九州電力前で川内原発停止要請のデモが行われていたことを初め、あちこちで稼働停止要請を叫んでいる声を全く伝えないメディアに、ますます疑問が沸き起こるばかり。

同じ現地救助の状況しか伝えない内容に、
「原発は安全な状態です」という報告に、
何かあったら全てが終わることが
本気で分かっているのだろうか、と
心が痛いばかり。

被災者の方々に届かなければならない情報が
テレビでは届けられない社会とは?

高齢の方々が、避難所の外で我慢して寝ている光景や、SNSで必死に水や食料を求め孤立している方々の現状を、テレビが伝えなくて意味があるのだろうか?

「政権批判をしないメディアは
メディアの意味がない。」

先日のサンデーモーニングで。
敢えて名前は言わないが。

その通りだと思った。

実際に私も、もっと具体的な情報をテレビで開示してほしい旨、NHKに電話しようとしたが、繋がらないので諦めた。

が、以前、偏った報道の際、その旨電話したら、
「上からの指示で番組内容は決められていますので、、、」と、もちろん仕方ない当たり前の回答に、でも意見をすることに意味あり、と自分に言い聞かせたのだった。

いやいや、とにかく、できることだけでも
やろう。

物資支援、金銭支援、労力支援、情報支援、
他、祈ること、愛を贈ること、自分たちの暮らしを見つめ直すこと、感謝すること、などなど、
いろいろ、あるから…

どうか優しい命たちが救われますように。