今日、ニュースで、中村勘三郎さんの死が告げられた。
母は、歌舞伎が好きで、来年の歌舞伎座のこけら落としを楽しみにしていた、と
朝一で悲しみの電話があったが、私は、歌舞伎を見に行ったことはあるがそこまでの関心はなかった。
が、おととしの暮れ、勘三郎さんが、” 突発性難聴 ” になったことが話題になり
2年半前に同じ病気に見舞われた私は
その辛さを人事ではないと、その話題が密かに気になっていた。
病気は、重ければ重いほど、とても大きな ” 築き ” を、
時には ” 学び ” をもたらしてくれる。
私の人生の中でも、いろいろなことはあったが、
突発性難聴による影響は、人生を大きく方向転換させるほどのものだった。
勘三郎さんにおいても、耳が聞こえなくなる、神経がおかしくなる、
すなはち、肉体だけではなく、精神状態も閉鎖的になる・・・
TVで放映された、復帰の初舞台で泣きながらご挨拶された映像が感慨深かった。
実際、理解できるからこそ、有名人として(有名人はストレス病としてこの病にかかる人が多いが)
続けていくことの困難を、陰ながらお察しした。
しかし、その後、癌が発覚し、闘病生活、、、
そして、この報告を受け、
” なんて人の命は儚いものなのだろう・・・”
と、心が痛んだ。
いつでも、明るく前向きな方、の印象。
でも、きっとたくさんのご苦労をされたのでしょう。。。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
父が60歳で他界した。
気づいた時には、末期の大腸がんだった。
余命一ヶ月の家族への ” 突然の ” 宣告。。。
当時、すぐには受け入れらなかった。
が、受け入れざるを得ず、
短い日々、できることをすべてした。
まだ、OLだった。
だから、会社も休み、あらゆる治療を試みる助けができないかと、動いた日々。
一ヶ月が半年に伸びた。
でも、結局、ダメだった。
60歳、還暦だった。
赤いチャンチャンコを着せて、かろうじて具合も良くないだろうにお祝いをした。
人の命は儚い。
思い残すことがたくさんあった。
何も、親孝行できなかった。
わたしは、
この頃からやっと
人が人として生きていく、ということを
大切にしようと心に決めた。
アフロディーテというこの名前は
病床の父が、
「お前が何か始める時は、ギリシャ神話の神様の名前からとったらどうだ」
と、歴史や考古学好きの父の、遺言のような言葉をもらったことからはじまった。
わたしは、その後図書館に通い、
たくさんギリシャ神話のことを調べた。
そして、
愛と美の女神 「アフロディーテ」を天から授かった・・・いや、父から・・・
大切なアフロディーテの世界を、ほんとうの意味で温め、発展させていきたい。
みんなが幸せに・・・ただ、ただ、それだけ・・・