今、想う、『本当の幸せ』のコト

今、とても幸せだと想えること。

それは、今までの人生におけるすべての積み重ねであり、そのことに感謝できるからだと想う。

「本が書けるね」と言われるほど、さまざまなことがあったこの20年。

 

ただひとつ言えることは

『内なる自分に誠心誠意願うことは、具現化する』ということ。

 

そのことは、身を以って体験させられてきた。

良いことも、悪い(一般的に言われる)ことも・・・

 

今、足くるぶしを『また』骨折して松葉杖だが、
小さい頃から良く手や足を骨折したりくじいたり、松葉づえは何度も体験。

でも、驚いたことに多くの友人たちはそんな体験はないのだという。

ほほぉ。。。こちらこそ、驚きものだ!!

その上、
自営業になってからのこの20年以内に、見事に様々なことをやってきた。

それは、重度の鬱病。
大腸ポリープは運よく良性ばかりだったので、内視鏡で何度も切除。
声が出なくなり、声帯ポリープ手術。
重度の突発性難聴。
ソウウツ病。

さすがに声が出なった時は、うちに来たての愛犬レガロちゃんとのお話がとてもスムーズだった。
そこで、アニマルコミュニケーションというものを、実は彼女から学んだ。
そして、『犬』という生命体が、とても人間を理解している、賢い存在だということも。。。

最初の鬱病は、ひどく、
的確な言葉がわからないが、
いわゆるホームレスさんのような出で立ちになり、
実家で寝たきり、お風呂も入れず髪の毛もあちこちに踊り、
言葉を発することも苦痛となり、息をしていることも苦しい。
人間であることを忘れ、どこからともなく押し寄せてくる不安や恐怖、そして哀しみ・・・
精神科に行っては、幸運にも温かいお医者さまの前でただひたすら涙が流れるだけ。
そのお医者さまは「泣いていいんですよ、話したくなければ何も話さなくてもいいんですよ」と優しかったのだけを覚えている。

包丁を手首につけてみたり、も、した。

家族にも理解されなかった。

だれも声をかけられなかったという。

復帰、、、これはいつからかまったくわからないが、
した時、親しかった別会社の社長が言った。
「良く戻ってきたね、もう大丈夫。乗り越えられたのだから!」と。

その後、その意味がよーくわかった。

でも、バカな私は、また声を失い、結構全身麻酔の手術は怖かった。
だって、誓約書に、命の保証はない、と書かれているのにサインさせられるのだから。。。

病院は怖かった。

その時、もう入院はしたくない、と思った。
その時も、でも、とてもいい先生だった。
退院してから、花の仕事をしている私に、お花のオーダーをくださったり、とても温かい方だった。
でも、病院の匂いが苦手だった。
白い、無機質で、薬臭い感じに、恐怖を感じた。

わたしが花の仕事を始めるきっかけとなったのは、
大腸癌の突然の父の死後、4ヵ月してから。
父はまだ61歳だった。

その時は、今ほど『癌』に対する理解がない時代で、
ただただ、抗がん剤、放射線治療しか選択できない時代。

暗い個室に移された父は、『あと10年は行きたいなぁ』と、つぶやいた。
末期を知らされないけれど、気づいていたかもしれない、と想いながら。
決して涙は見せられなかった、、、父の前では。

病室を出たとたん、優しい看護婦さんが抱きしめてくれ、口を押さえて号泣した日々。

人の命とは何だろう・・・

自分がなんと無力なのか、、、そんなことばかりを考えさせられた日々。

 

その後、花屋を始めた。
父は、自分の死を察してか、
「お前が何か始めるならあそこの場所を使って、ギリシャ神話の神様から名前を取ったらどうだ?!」と、
私にとっては、それが遺言となった。

そして、当時ネット社会ではない1998年、
あらゆる図書館を回り、数少ないギリシャ神話の本を借りまくった。
そして、名前の響きと、神様の意味を考えて、この名前をつけた。

愛と美の女神 『アフロディーテ』。
別名ヴィーナスだった。

そして、以前、イタリアの生地の輸入代理店で働いていたのもあり、
訪伊で、とても好きになったイタリア語を使い、
La Porta di Aphrodite  ラ・ポルタ・ディ・アフロディーテ - アフロディーテの扉

と名付けた。

その意味は、
アフロディーテの扉を開けてくださったかたには、無限の可能性がありますように・・・と。

名は体を表す。

その言葉通り、いつしか、心の愛と美を追求する為に、つけた名前だったのだと、
自営業の体系が、花屋さんから、癒しのコーディネイトショップ、そしてヒーリング的な内容を最も大切なコンセプトとして活動している自分に気づかされた。

 

長くなるので、この辺で。

すべては体験から。

声が出なくなり、その次は耳が聞こえなくなった時の恐怖と絶望感。

また書ける時が来たら。

 

なので、今、こうして健康に生きていられること、
普通に息をしていられ、生活できていることすべてが
心から有り難いのです。

そして、何かがあるから、幸せなのではない。
何もなくても、幸せ、と感じることができれば、それが本当の幸せなのだとも、気づかされたのです。

モノやお金、場所、そして愛情もしかり、、、
実は
『不足している何か』
を求めるのではなく、

心から
『足るを知ること』
が幸せに通じるのかもしれません。

愛と感謝を込めて。

 

アフロディーテ Ψ 佐々井 裕美

突然のたわごとにお付き合いいただき、有難うございます。